リンゴ・スター(Ringo Starr、ザ・ビートルズ)

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このページは、リンゴ・スター(Ringo Starr、ザ・ビートルズ)のバイオグラフィー、ディスコグラフィーをお伝えしています。

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リンゴ・スター(Ringo Starr)


リンゴ・スター(Ringo Starr)は、ザ・ビートルズ(The Beatles)のドラマーとして活躍。左利きだが右利き用のドラム・セットを使っている。なお、リンゴだけはデビュー前のクオリーメン時代からのオリジナルメンバーではなかった。

ジョージ・ハリスンと同様、ビートルズのメンバーとしては才能に満ち溢れたジョン・レノンとポール・マッカートニーに比べ地味な存在だったが、彼のドラムスはビートルズサウンドの要としてメンバーを支え続けた。彼のフレーズ感溢れるドラムスはポールのベースラインと並んで評価が高く、『レコード・コレクターズ』の「20世紀のベスト・ドラマー100」では2位にランク・インしている。また、ボーカリストとしての才能も持ち合わせており、「ボーイズ」「グッド・ナイト」「イエロー・サブマリン」など、リンゴがリードボーカルを務めた楽曲もある。代表曲に「想い出のフォトグラフ」「明日への願い」などがある。

現在の妻は映画『007 私を愛したスパイ』のボンドガールで有名な女優のバーバラ・バック。ドラマーのザック・スターキーは長男。なお、孫にあたるザックの娘ターシャ・スターキーも、ベーシストとして活動している。

ビートルズ解散後も現在までソロミュージシャンとして第一線で活躍している。



【来歴】

誕生からビートルズ解散に至るまで

リンゴ・スターことリチャード・スターキーは、1940年7月7日にリヴァプールで生まれた。3歳の時に両親は離婚し母子家庭という環境で育ち「父との思い出と呼ばれるものは何もない」とリンゴは言う。

13歳のとき、母エルシーがハリー・グレイブスと再婚。他のメンバー同様に不良少年だったといわれているが、病弱であったために長い期間に渡って入院生活を送っていたという。 入退院を繰り返し、ほとんど学校にも行くことができなかった。この入院中に医者から教えてもらったのがドラムで、やがて院内のバンドに加入した。以来、リンゴはドラム以外の楽器に関心を示さなくなっていったという。ドラム・セットを手に入れた後は、もう学校へ戻ることはなかった。昼は工場で働き、夜はダンス・パーティーなどでドラムを叩くという生活を送り、数々のグループに在籍して腕を磨いていく。

ビートルズと出会った当時、彼は『ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ』というバンドのドラマーを務めていて、ビートルズがレコードデビューする直前の1962年8月、当時ビートルズのドラマーだったピート・ベストと交代する形でグループに加入した。

若い時分から職を転々としていたそうだが、プロのドラマーになってからは安定した収入を得られるようになったそうである。リンゴはビートルズ加入前にビートルズの面々とハンブルク巡業時に顔見知りになったそうだが、ジョージ・ハリスンによると「出逢ったころのリンゴは僕らよりも収入が多くて、僕らよりも早く車を買って乗り回していた」そうである。

芸名の“リンゴ・スター”とは、ハリケーンズ時代にそれぞれが芸名を考えた時につけられたもの。指輪が好きで、両手にいくつも付けていたので、“Rings(リングス)”と呼ばれていたことが元で付けられた。リンゴは「Ringo Starkeyでいくつもりだったけれど、しっくりこなかったのでStarkeyを半分にしてrをもうひとつ付けた」と発言している。

他のメンバーより身長が低いため(ジョン、ポール、ジョージは5フィート11インチ(≒180.34cm)、リンゴは5フィート8インチ(≒172.72cm))、4人が並んだ写真では一番小さく写っている。

ビートルズの歴史上、“A Hard Day's Night”や“Eight Days A Week”、“Tomorrow Never Knows”など、リンゴの発言をタイトルにしたといわれるものは多々あるが、どれも文法的には正しくない。ジョンはリンゴのこうした言語感覚を讃えて“Ringo-ism(リンゴ語)”と呼び、「リンゴはときどき、ちょっと面白い言い間違いをするんだよ。文法間違いだとかいうようなのじゃない、ジョークっぽいやつ。これが結構いいネタになるのさ」と発言している。

1965年2月にモーリン・コックスと結婚、同年9月13日に長男ザック誕生。同年、MBE勲章を授与される。

ビートルズとして成功してからは昔から親しくしている親戚と食事をしても相手がよそよそしくなってしまい、「以前はそんなことなかったのにね…。でも、“以前みたいに接してくれよ”とも言えない。そんなこと言えば、それこそ僕が偉ぶっているみたいに思われてしまうだろ…」と後年語っている。

ビートルズが1970年以前に公式発表した楽曲(一般に213曲とされる)のうち、コンポーザーとしてのスター(=リチャード・スターキー)の氏名がクレジットされているものは5曲(「ドント・パス・ミー・バイ」「オクトパス・ガーデン」「フライング」「ディグ・イット」「消えた恋」)あり、そのうち、彼が単独で作ったものは2曲(「ドント・パス・ミーバイ」「オクトパス・ガーデン」)である。また、彼がリード・ボーカルを担当している曲は十数曲存在する。また、「僕は皆と友達」「僕の曲はアルバムに最低でも1曲入っていればOK」「人気投票では、全然3人に敵わないけど、“2番目に好きなメンバーを選ぶ投票”だったら、きっと1番になれる」などの発言から窺えるようにビートルズのメンバーの中で最も穏やか、かつ人格者であったことでも知られ、彼の存在なしではグループの解散がもっと早まっていたと言われている。

ただし、リンゴは一度非公式にビートルズを脱退している。当事者サイドの見解によると、1968年のアルバム『ザ・ビートルズ』(ホワイト・アルバム)のセッションで「バック・イン・ザ U.S.S.R.」をレコーディング中のこと、自分のスケジュールを常にほかの3人に合わせ、自由な時間もほとんどない状況で、そのうえ、ポール・マッカートニーがリンゴのドラミングにいちいち注文をつけ、挙句の果てにはポールが自分でドラムを叩き「こういう風にやるんだよ!」と言うと、流石に温厚なリンゴもこの状況に激怒し、ビートルズ脱退を決意。「やめてやる!!」と言い放ち、スタジオを後にしたというもの。

また、その騒動の直前にはリンゴはほかのメンバーは仲良しで自分だけが疎外されていると感じ、ジョンの家へ出向き、「君らは仲良しで僕はのけ者だし、プレイも良くないから辞める」と伝えた。するとジョンは「仲が良いのは君ら3人だよ」と答えた。リンゴはその後、ポールの家へ行き同じように伝えると、ポールも「仲が良いのは君らだろ?」と返事をした。ポールは後年、「普段は本人を前にして“君が最高のドラマーだ”なんて言わないだろ?だからリンゴは不安だったんだと思う。『君は最高』と伝える必要があったんだ」と語っている。ポールはリンゴのプレイを褒めちぎり、ジョンは励ましの電報を送り、ジョージはスタジオ中に花を飾ってリンゴを迎えた。


ビートルズ解散後の活動

[1970年代前半]

ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明する直前(1970年3月)に、スタンダード・ナンバーを集めた初の単独作品『センチメンタル・ジャーニー』を発売。これを機に、リンゴはソロ・ミュージシャンとしての活動を始動する。同年12月には2枚目のアルバム『カントリー・アルバム』もリリースしている。シングルでは、自作の「ボークー・オブ・ブルース」や「明日への願い」を発表した。「明日への願い(イット・ドント・カム・イージー)」と「バック・オフ・ブーガルー」は、ヒット・チャートを賑わした。ジョージ・ハリスンとの共作曲「想い出のフォトグラフ」や「ユア・シックスティーン」は、全米チャートでナンバーワンを記録した。リンゴは1970年代前半に、ジョン、ポール、ジョージらビートルズの元メンバーと同様、コンスタントにシングル・ヒットを連発した。さらに1974年にプラターズのカバー「オンリー・ユー」、75年に「ノー・ノー・ソング」がヒットした。日本独自のヒットとしては、74年の「オー・マイ・マイ」がある。

シングルだけではなく、アルバムでも彼は成功を収めた。1973年発表の『リンゴ』は全米1位にランクイン。ビートルズ解散以降初めて、4人のメンバーが1枚のレコードの中で名を連ねた(各メンバーが楽曲提供と演奏で参加)作品という話題性も手伝ってのことではあっただろうが、いずれにしろ、ここに至って、彼はソロ・キャリアの頂点に達する。ジョン・レノンやエルトン・ジョン、ニルソンなど、豪華な作家陣が楽曲を提供し、レコーディングにも参加した次作の『グッドナイト・ウィーン』も前作同様に大ヒット。ジョージが企画して行われた1971年の『バングラデシュ難民救済コンサート』も含め、1970年代前半のリンゴはさまざまな分野で大活躍した。


[1970年代後半〜1980年代]

しかし、1976年に古巣EMI/アップルを離れ、アトランティック・レコードに移籍した頃から、好調だったソロ活動に翳りが見え始める。当時リンゴは、自らのレーベル、リング・オー・レコードを設立。作品のプロデューサーにアリフ・マーディン、作曲家にヴィンセント・ポンシア・ジュニアなどを迎え、極めてファンキーなサウンド作りに徹していた。しかし、そういった路線を、より具体的に打ち出した1977年のアルバム『ウイングズ〜リンゴIV』は、ビルボードのアルバムチャートで100位圏外という結果に終わってしまう。この作品の売上不振を原因に、彼はアトランティックから契約を打ち切られている。プライベートでも腸の病気を患って、一時危篤状態に陥ったり、ロサンゼルスにある自宅が火事で全焼したり、と、1970年代後半はリンゴにとって多難な時期となった。そんな中、彼は自らが主演を務める映画『おかしなおかしな石器人』の中で共演した女優のバーバラ・バックと恋に落ち、1981年に再婚(前妻のモーリーン・スターキーとは1976年に離婚している)。だが、その前年・1980年12月、ニューヨークで、ジョン・レノンが精神疾患者に殺害されるという衝撃的な事件も起こった。この事件が起こった直後、夫妻は急遽ニューヨークのオノ・ヨーコのもとに向かい、彼の死を悼んだという。

本業では、1980年代に2枚のオリジナルアルバムをリリースするが、シングル・カットされて全米トップ40ヒットとなった「ラック・マイ・ブレイン」以外は全て失敗に終わっている。ジョー・ウォルシュ(イーグルス)をプロデューサーに迎えて制作された1983年発表の『オールド・ウェイブ』に至っては、本国やアメリカではリリースさえされなかった。1980年代の彼は私生活でもとても退廃的な体たらくだったようで、ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンのアルバムや、チャリティ・コンサートなどでドラムを叩く活動が中心だった。1980年代後半はアルコール依存症にも悩まされていた。


[近年]

そんな彼も、1989年にアルコール依存症患者更生施設での治療を経てカムバック。ブルース・スプリングスティーンのバックバンドであるEストリート・バンドや、イーグルスの元メンバーなどを集めた、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」というスーパーバンドを結成し、ビートルズ解散後初の本格的なワールド・ツアーに出る。その年の秋には日本公演も実現、元メンバーで解散後最初に武道館公演も行った。ビートルズのメンバーがライブを目的として日本に来たのは実に23年ぶりのことであった(ちなみに翌年にはポール、そのさらに次の年にはジョージも日本公演を行っている。元ビートルズが3年連続で来日したことは、日本のロック・ファンを大いに沸き立たせた)。

1992年に久々のアルバム『タイム・テイクス・タイム』を発表してからは、その活動はますます精力的なものとなり、1995年にはオールスター・バンドを従えて再び来日した。この際の武道館公演は、『ヴォリューム・ワン』というタイトルのCDとなって、アメリカの「ブロックバスター」から通販限定で発売されている。翌1996年には、日本の宝酒造「すりおろしりんご」のCMに出演し、大きな話題を呼んだ。彼はコマーシャルに出演した当時唯一のビートルズのメンバーであり(2007年にはポールがiPodのテレビCM、2012年にJBLのテレビCMに出演)、このアップル・ジュース以前にも、イギリスのシュエップス、アメリカのウォッカや、ピザのCMに出演している。

1998年には、キャロル・キングやエアロスミスなどを手がけたことで知られるマーク・ハドソンを、作曲パートナーと共同プロデューサーに迎えて制作されたオリジナル・アルバム『ヴァーティカル・マン〜リンゴズ・リターン』をリリース。マッカートニー、ハリスン、ブライアン・ウィルソン、アラニス・モリセットなど、相変わらず豪華なゲスト陣とともにレコーディングされたこのアルバムは、彼にとって実に22年ぶりとなる全米アルバムチャートのトップ100入りを果たした。その後はハドソンをパートナーとして、精力的に創作活動に臨み、数枚のアルバムを発表している。数年間隔でオール・スター・バンドのツアーもこなし、マイペースながら着実な活動を続けている。

2008年には、メンバー中唯一サインに応じる元ビートルとしての生活に嫌気が差したとし、「10月20日以降はどんなものであってもサインしない、ファンレターも読む暇がないのでゴミ箱行きになるから送らないでほしい」と声明を出した。報じられたニュースによると、ファンレターの返事にサインを送ると、送ったサインが転売されるというケースが頻発したことに対する憤激であるとも言われている。

2011年には、ギターを弾いているのがよく見られる。「サマーツアー・イン・ヨーロッパ」のムービーでは青いフォークギターを弾いている。その他にリンゴのホームページでエレキギターやピアノを弾いているところを見ることができる。

2013年には「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として日本公演を行った。

2014年にはビートルズの米国上陸50周年のメモリアルイヤーとして、グラミー賞授賞式でポールと共演。そして翌1月27日、ビートルズ訪米50周年トリビュートコンサート"The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles"が開催。ラストではポールと「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」と「ヘイ・ジュード」を披露して会場を熱狂させた。

2015年にロックの殿堂入りを果たすことが発表され、これでビートルズはバンドとしてだけでなく、ソロアーティストとして元メンバーが全員殿堂入りを果たした。



【映画俳優として】

リンゴは多くの映画に性格俳優として出演するなど、音楽以外の面でも才能を発揮している。ドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』を除くすべてのビートルズの映画作品(『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』、『ヘルプ』、テレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』、アニメ『イエロー・サブマリン』)において、リンゴは主役またはストーリーの中心的な存在となっている。ビートルズのフロントマンであるレノンやマッカートニーも、これらの映画作品の中ではリンゴを引き立てる脇役に徹している。他のメンバーと違って、コンポーザーとしての才能に長けていなかったこともあって、ビートルズ後期になると、彼はより映画の仕事に重点を置くようになり、ピーター・セラーズとの共演作『マジック・クリスチャン』や、『キャンディ』などに出演した。

映画『おかしなおかしな石器人』での共演をきっかけに結婚した現在の妻バーバラ・バックも、かつては映画『007』などに出演していた女優である。1980年代には、ビートルズの他の二人の元メンバーとそれぞれスクリーン上で共演した。1982年には妻と共に、ゴドレイ&クレームが監督を務めた短編映画『ザ・クーラー』に出演し、映画を制作したマッカートニー夫妻と共演した。マッカートニーによる1984年公開の映画『ヤァ!ブロード・ストリート』でも、彼はサントラへの参加のみならず、俳優として演技していた。ハリスンとは1985年公開の映画『レゲエdeゲリラ』で競演。エリック・クラプトンをはじめとする豪華なミュージシャンたちと、そろって演奏するシーンに出演していた。本業の音楽に再び精を出すようになった1980年代後半以降、彼が映画に出演する機会は減りつつある。



【声優として】

1984年 きかんしゃトーマス(ナレーター)

1991年 ザ・シンプソンズ

2014年 パワーパフガールズ:ダンスパンツにご用心! (フィボナッチ・スパンコール )



【アニメソング】

「I Wish I Was A Powerpuff Girl」(2014年、パワーパフガールズ:ダンスパンツにご用心!)



【リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドについて】

リンゴは1989年以降現在に至るまで、不定期であるものの、数年間隔のハイペースで、大物ミュージシャンを多数集めた「オール・スター・バンド」を結成し、活発にツアーを行っている。そのメンバーはイーグルスのジョー・ウォルシュとティモシー・B・シュミット、Eストリート・バンドのクラレンス・クレモンズやニルス・ロフグレン、リチャード・マークス、トッド・ラングレン、ビリー・プレストン、シーラ・Eなどまさに豪華絢爛なもので、ツアーが行われるたびに顔ぶれは流動的に変化している。また、スターの息子でありオアシスやザ・フーのドラマーとしても知られるザックも度々参加している。1989年、1995年、2013年には日本公演が実現し、1995年のライブの模様は通販限定で商品化もされた。歴代のオール・スター・バンドのメンバー編成は次の通り。


■ 第1期(1989年)

ビリー・プレストン、レヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、ドクター・ジョン、ジョー・ウォルシュ、ジム・ケルトナー、ニルス・ロフグレン、クラレンス・クレモンズ

■ 第2期(1992年)

ティム・キャペロ、デイヴ・エドモンズ、バートン・カミングス、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミット、ザック・スターキー、ニルス・ロフグレン、トッド・ラングレン

■ 第3期(1995年)

ビリー・プレストン、フェリックス・キャバリエ、ジョン・エントウィッスル、マーク・ファーナー、マーク・リベラ、ランディー・バックマン、ザック・スターキー

■ 第4期(1997 - 98年)

ゲイリー・ブルッカー、ジャック・ブルース、ピーター・フランプトン、サイモン・カーク、マーク・リベラ、デイヴ・メイスン

■ 第5期(1999年)

ゲイリー・ブルッカー、トッド・ラングレン、ティム・キャペロ、ジャック・ブルース、サイモン・カーク、ジョー・ウォルシュ(リハーサルのみ参加)

■ 第6期(2000年)

ジャック・ブルース、エリック・カルメン、デイヴ・エドモンズ、マーク・リベラ、サイモン・カーク

■ 第7期(2001年)

イアン・ハンター、グレッグ・レイク、シーラ・E、ハワード・ジョーンズ、ロジャー・ホジソン、マーク・リベラ

■ 第8期(2003年)

コリン・ヘイ(メン・アット・ワーク)、ジョン・ウェイト、ポール・キャラック、シーラ・E、マーク・リベラ

■ 第9期(2006年)

ロッド・アージェント、リチャード・マークス、ヘイミッシュ・スチュアート、ビリー・スクワイア、マーク・リベラ、シーラ・E、エドガー・ウィンター

■ 第10期(2013年)

トッド・ラングレン、スティーヴ・ルカサー(TOTO)、リチャード・ペイジ、グレッグ・ローリー、マーク・リベラ、グレッグ・ビゾネット



【ディスコグラフィ】

ザ・ビートルズの作品


オリジナル・アルバム

『センチメンタル・ジャーニー』 - Sentimental Journey (1970年)

『カントリー・アルバム』 - Beaucoups of Blues (1970年)

『リンゴ』 - Ringo (1973年)

『グッドナイト・ウィーン』 - Goodnight Vienna (1974年)

『リンゴズ・ロートグラヴィア』 - Ringo's Rotogravure (1976年)

『ウィングズ〜リンゴ IV』 - Ringo the 4th (1977年)

『バッド・ボーイ』 - Bad Boy (1978年)

『バラの香りを』 - Stop And Smell The Roses (1981年)

『オールド・ウェイヴ』 - Old Wave (1983年)

『タイム・テイクス・タイム』 - Time Takes Time (1992年)

『ヴァーティカル・マン?リンゴズ・リターン』 - Vertical Man (1998年)

『リンゴ・ラマ』 - Ringo Rama (2003年)

『チューズ・ラヴ』 - Choose Love (2005年)

『哀愁のリヴァプール』 - Liverpool 8 (2008年)

『ワイ・ノット』 - Y Not (2010年)

『リンゴ2012』 - Ringo 2012 (2012年)

『ポストカーズ・フロム・パラダイス』 - Postcards From Paradise (2015年)


ベスト盤/企画盤

『想い出を映して』 - Blast From Your Past (1976年)

Starr Struck; Best of Ringo Starr Vol.2 (日本未発売、1989年)

『アイ・ウォナ・ビー・サンタ・クロース〜リンゴのクリスマス・アルバム』 - I Wanna Be Santa Claus (1999年)

『フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター』 - Photograph: The Very Best of Ringo Starr (2007年)


ライヴ盤/ライヴ・ベスト盤

『リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド』 - Ringo Starr & His All-Starr Band (1990年)

Ringo Starr & His All-Starr Band Vol.2 -LIVE FROM MONTREUX- (日本未発売、1993年)

Ringo Starr And His All-Stars Band Volume One (日本未発売の通販限定作品、1997年)

『ストーリーテラー・ライヴ』 - VH1 Storytellers (1998年)

『アンソロジー・ソー・ファー』 - The Anthology...So Far (2001年)

King Biscuit Flower Hour Presents Ringo Starr (日本未発売、2003年)

Extended Versions (日本未発売、2003年)

『ツアー2003』 - Tour 2003 (2004年)

Ringo Starr and Friends (日本未発売 2006年)

Live at Soundstage (日本未発売 2007年)

『リンゴ・アンド・ヒズ・オール・スターズ・バンド・ライブ2006』 - Ringo Starr & His All Starr Band Live 2006 (2008年)

『ライヴ・アット・ザ・グリーク・シアター2008』 - Live at the Greek Theatre 2008 (2010年)


主要な出演映像作品

『ビートルズ/ハード・デイズ・ナイト』(1964年)

『ビートルズ/ヘルプ!』(1965年)

『ビートルズ/マジカル・ミステリー・ツアー』(1967年)

『キャンディ』 - Candy (1968年)

『マジック・クリスチャン』(1969年)

『ビートルズ/レット・イット・ビー』(1970年)

『盲目ガンマン』 (1971年)

『バングラデシュのコンサート』(1971年)

『ドラキュラ二世』(1974年)※日本未公開

『マイ・ウェイ・マイ・ラヴ』(1974年)

『ラスト・ワルツ』(1978年)

『おかしなおかしな石器人』(1981年)

『ヤァ!ブロード・ストリート』(1984年)

『きかんしゃトーマス』(1984年 - 1986年)※ナレーション

『レゲエdeゲリラ』(1985年)

『コンサート・フォー・ジョージ』(2002年)

『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(2011年)



【主な使用楽器-ドラム】

1.プレミア・ドラム・キット(Premier Drum Kit)(1台目)

 ビートルズデビュー前に購入しデビュー時も使用していた(マホガニーデュロプラスチック)茶色の1台目のドラムセット。カラーもヘッドの質も音も悪かったとの声もある。バスドラムのフロント側に装着するヘッドにはPremierロゴの下に“Ringo Starr”と文字を入れていた。またそのヘッドはプレミア(premier)社のエバープレイ(everplay)ヘッドでセット購入時の物である。その後、かぶと虫の角を模した「The Beatles」のロゴが描かれた物に変更した。このセットは1963年、ラディック製ドラムの購入のため(シンバルスタンド2本だけ残して)ドラム・シティ楽器店下取りに出した。 バスドラム:20インチ(当時のPremierロゴ入りオリジナルフロントヘッドに“Ringo Starr”の文字を入れたヘッドを装着)

2.ラディック・オイスター・ブラック・パール・セット(Ludwig Oyster Black Pearl Set)(2台目、3台目)

 ビートルズ初期から中期にかけて使用した2台目〜3台目のドラムセット。2台目は1963年4月にドラム・シティ楽器店にて購入。その後しばらくして同じサイズの物をもう1台購入。特に製品としてセットされた組み合わせではなく、店の在庫を組み合わせたか、ラディック・スーパー・クラシック(Ludwig Super Classic)とラディック・ダウンビート(Ludwig Downbeat)を組み合わせたオリジナルセットの模様。あの有名な「THE BEATLES」と書かれたドロップTロゴは、ドラム・シティ楽器店のオーナーのアイヴォー・アービターが考えたアイディアを元に、同店のドラムヘッドに文字入れを行っている看板職人エディ・ストークスの手で書かれたもので、同店はライセンスは取っていなかった。ロゴはバスドラムのフロント側に装着するレモ(REMO)社の20インチのウェザー・キング(Weather King)ヘッドに書かれていた。バスドラム以外のヘッドはラディック(Ludwig)社のウェザー・マスター(Weather Master)ヘッドが付けられていた。 バスドラム:20×14インチ(ドロップTロゴ入りヘッドを装着)

3.ラディック・オイスター・ブラック・パール・セット(Ludwig Oyster Black Pearl Set)(4台目、5台目)

 ビートルズ中期か後期にかけて使用した4台目〜5台目のドラムセット。4台目のラディック・セットもドラム・シティ楽器店で注文した物でロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで引き渡された。その後しばらくして同じサイズの物をもう1台購入。ロゴはバスドラムのフロント側に装着するレモ(REMO)社の22インチのウェザー・キング(Weather King)ヘッドに書かれていた。バスドラム以外のヘッドはラディック(Ludwig)社のウェザー・マスター(Weather Master)ヘッドが付けられていた。「ヘイ・ジュード」ではタム、フロアタムに毛布をすっぽり被せ、響きを極限まで抑える独特のサウンドを生み出した。 バスドラム:22×14(ドロップTロゴ入りヘッドを装着)

4.ラディック・ハリウッド(Ludwig Hollywood)(6台目)

 ビートルズ後期に使用したナチュラルカラーの6台目ドラムセット。タムが2個にシンバルが3枚と各々数的にグレードアップしている。「ゲット・バック・セッション」ではバスドラムのフロントヘッドは付けずに毛布を入れている。フロアタムにも布が被せられているほか、ハイハットタンバリンを装着している。 バスドラム:22×14インチ



【主な使用楽器-ドラムスティック】

ビートルズ時代はドラム・シティ楽器店より供給されていた。材質は不明だが、現在でもドラムスティックの材質として一般的なヒッコリーかオーク材が使われていたと思われる。サインや「Ringo ☆」と刻印されたシグネイチャーモデルのスティックも発売されている。

タンバリン: 「ラヴ・ミー・ドゥ」レコーディングの際には、セッションドラマーにドラムを取られてしまったため、仕方なくタンバリンを叩いている。映画「ヘルプ!4人はアイドル」で「悲しみはぶっとばせ」でもタンバリンを叩いている。

ボンゴ、マラカス: アルバム「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」で使用。

ティンパニー: 「エヴリー・リトル・シング」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」で使用。



参照: Wikipedia(ウィキペディア)


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