エイジア (Asia) - ディスコグラフィー、CD・DVD情報
【エイジア (Asia)】 出身地: イングランド
音楽ジャンル: ハード・ロック
ディスコグラフィー、・DVD情報
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【エイジア (Asia) - ディスコグラフィー】
[オリジナルアルバム]
1982年 詠時感〜時へのロマン / ASIA
1983年 アルファ / ALPHA
1985年 アストラ / ASTRA
1992年 アクア / AQUA
1994年 天空のアリア / ARIA
1996年 アリーナ / ARENA
2000年 オーラ / AURA
2004年 サイレント・ネイション / SILENT NATION
2008年 フェニックス / Phoenix
2010年 オメガ / OMEGA [ベストアルバム]
1990年 ゼン・アンド・ナウ / THEN & NOW
1996年 アンリリースド・トラックス VOL.1 / ARCHIVA 1
1996年 アンリリースド・トラックス VOL.2 / ARCHIVA 2
1997年 ベスト・オブ・エイジア〜アンソロジー (1982-1997)
2000年 ベリー・ベスト・オブ・エイジア / The very best of ASIA
2002年 アンソロジア〜20thアニヴァーサリー・コレクション (1982-1990)
2006年 エイジア・ゴールド / ASIA GOLD
2006年 Asia:Deffinitive Collection(日本未発売)
[ライブアルバム]
1991年 ライヴ・イン・モスクワ1990 / LIVE IN MOSCOW 1990
2007年 ライヴ・イン・ノッティンガム1990 / LIVE IN NOTTINGHAM 1990
2007年 ファンタジア〜ライヴ・イン・トーキョー2007 / Fantasia: Live in Tokyo
【エイジア (Asia) - バイオグラフィー】
Asia(エイジア)は1982年にデビューした。メンバー全員が、既に世界的なキャリア/知名度を得ていたミュージシャンであったため、デビューの時点からスーパーグループとして注目された。「プログレッシヴ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立し、そのスタイルにそってリリースされたファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』は数ヶ月後には全米NO.1を9週キープ、全世界で1500万枚のセールスを達成。同アルバムからシングルカットされた『Heat Of the Moment』は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位となり、商業的にも成功を納めている。アルバムデビューの時点のメンバーは、ジョン・ウェットン(vo.b/元キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、U.K.)、スティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)、カール・パーマー(ds/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、ジェフ・ダウンズ(kbd/元バグルス、イエス)。その後、幾多のメンバー・チェンジを繰り返したが、2007年にはオリジナルメンバー四人での「初来日コンサート」が、そして続く2008年にも来日を果たしている。
ジェフ・ダウンズは脱退したジョン・ウェットンの後任としてジョン・ペインを迎え、エイジアの名義でアルバムを発表していた。しかし、2006年にジェフ・ダウンズはオリジナル・メンバーを集結させたエイジアとして活動を再開するにあたり、ジョン・ペインらの現行のエイジアのメンバーたちは「脱退」を余儀なくされてしまった。そこでジョン・ペインらはGPSとしてのデビューアルバム『Window to the Soul』を制作し、エイジアの次のアルバム用に作られていた『Architect of Time』のための楽曲をこの中で使用した。2007年、オリジナルメンバーで活動を再開しているエイジアの4人の合意を得て、ジョン・ペインらはASIA featuring John Payneと名乗り、「初期から現在までの全ての曲」を演奏するエイジアとして活動している。ASIA featuring John Payneは2008年にソニーミュージックジャパンとアルバム3枚の契約を結び、2010年のアルバム『ARCANA』発売に向けて準備中である。2009年のツアーでは、ギタリストがMitch Perry、キーボードがErik Norlanderとなっていた。
1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシヴ・ロック・バンドの解散と、若く才能溢れるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた。
1980年にイエスからトレヴァー・ホーンが脱退し、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトはジミー・ペイジとのバンドを結成するためにイエスを離れてしまった。イエスに残されたスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはイエスの継続を断念してしまう。ここでイエスは解散。その時、イエスのマネージャーだったブライアン・レーンはジョン・ウェットンを2人に引き合わせて新バンドの結成を企画する。かつて、ブライアン・レーンはリック・ウェイクマンとジョン・ウェットン、それにビル・ブラッフォードによるスーパー・トリオを企画したがうまくいかなかった経験があり、その時からジョン・ウェットンに協力的であった(当時、ジョン・ウェットンはブライアン・レーンの秘書と結婚していた)。そして、ジョン・ウェットンとスティーヴ・ハウが一緒に曲作りをするようになり、デビューアルバムの約半分を書き上げた。当初はサイモン・フィリップス(ds)がドラマーを務めたが、その後カール・パーマー(ds)に交代、キーボードにキース・エマーソンの加入も企画されたが、結局はスティーヴ・ハウの紹介によりジェフ・ダウンズが加入して結成メンバーが集まるに至った。バンド名はブライアン・レーンが提案したAsiaとなった。ソング・ライティングは、アルバム制作の頃までにはウェットン/ダウンズのチームが出来上がり、1982年3月8日、ロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』とシングル『Heat Of the Moment』をリリース、上記の商業的な成功を納めた。
翌1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。完全にウェットン/ダウンズの作曲チーム中心となり初期の中心メンバーであるハウが作曲に参加した作品が入っていない。シングル『Don't Cry』が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた『Asia』の売上の1/5ほどに留まってしまい、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、中心メンバーのウェットンが1983年の初来日ツアー前にアルコール中毒になっていたという理由で突如と解雇されてしまう。ウェットンの代わりとしてベースもリードボーカルも兼任できて声質も似ているグレッグ・レイク(vo.b/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)に代役を急遽依頼。
1983年12月6日から、ワールドツアーが日本より開始され、日本国内では4公演が開催された(12月6日の公演は、ゲネプロ、及び、翌日のTV生中継のリハーサル感のある演奏だった(12月6日、7日の両日とも、会場内客席の照明は薄暗かった))。MTVの企画で、同年12月7日の日本武道館公演の模様を全世界に衛星生中継するという歴史的なイベント『ASIA in ASIA』(日本国内のツアータイトルも同じ)が行われた。この公演はアメリカ向きの放送時間に合わせて(アメリカでは同年12月6日)日本では平日の昼間に行われ、この日のみ演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。この模様は国内でも、テレビ神奈川(tvk)で、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA IN ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された(この特別番組の司会は、当時テレビ神奈川で放送していた洋楽を多く扱う番組の「ファンキートマト」での司会の植田芳暁。ゲストとして白井貴子。生中継の公演の模様が14:05頃-14:38頃迄放送された。また、ニューヨークで生中継の模様を観ている、日野皓正の国際電話でのインタビューもあった。番組終盤の 14:45頃-14:50頃にも生中継の模様が放送された。番組提供スポンサーはソニー。この特別番組の直前に放送の番組「おしゃべりトマト」でも同出演者にてエイジアの紹介がされていた)。
歌詞をじっくり覚える時間もなかったレイクはツアー中、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになった。レイクの声域の方がウェットンより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労したが、長年同じバンドにいたパーマーを始め他のメンバーとも息が合い、コンサートは成功した。
後に、MTVで日本武道館から衛星生中継した番組の『ASIA in ASIA』の模様は『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化されビデオテープ、レーザーディスクで市販された。
このままレイクがエイジアに在籍しつづけるのかと思われたが、1984年に再びウェットンが復帰している。しかし、ウェットンとハウとの仲がうまくいかず、サードアルバムのリハーサル中に今度はハウが脱退してしまった。ハウの後任のギタリストにはジョン・ウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーが参加している。25曲録音した中から10曲を厳選し1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表する。しかしこのアルバムは最高位が全米67位、シングル『Go』は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、これまでの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、マネージメントのブライアン・レーンから解雇され、バンドの活動は凍結、事実上の解散状態となった。
1989年に、当時ゲフィン・レコードのA&Rであったジョン・カロドナーの提案で再結成を実現するが、1989年の時点でスティーヴ・ハウはABWHに参加していたこともあり合流しなかった。A面5曲が過去のヒット曲を並べたベスト盤、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』も発表する。ギターパートは、スティーヴ・ルカサー(TOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)などのサポート・メンバーが担当、ドラムに関しても録音時期にスリーの活動を行っていたためカール・パーマーが参加していない曲がある。ギタリストはツアーにあたって、グレン・ヒューズとの活動でも知られるパット・スロールを迎えた。日本ツアーは成功を収め(この時、TBSの深夜のテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」にゲスト出演している)、旧ソビエトのモスクワで収録されたライブアルバム『ライブ・モスクワ』をリリースしたものの、アメリカでのツアー日程が組めず、いわゆる懐メロバンドとしての需要しか求められていないと感じたジョン・ウェットンがソロ契約を得たこともあり、南米ツアーの後脱退する(パット・スロールも同時期に脱退)。
その後、ダウンズはジョン・ペイン(vo.b/元エレクトリック・ライト・オーケストラ)という新たな盟友を得て活動を続けていたが、それ以降はバンド形態というより「ジェフ・ダウンズのソロプロジェクト」の色彩が強まって行き、ジェフとジョン・ペイン以外はゲストアーティストの参加による演奏が多くなり、ツアーに参加するメンバーも非常に流動的なものとなる(アルバム「ARENA」のレコーディングには布袋寅泰が参加している)。アルバム『AQUA』にはスティーヴ・ハウが参加しているが、その後のツアーにはゲストとしての参加に留まり、再びエイジアからは離れイエスの活動に移っていくこととなる。ペイン&ダウンズ体制としてのアルバム『Silent Nation』では、それまでアルバムジャケットのアートワークを手がけていたロジャー・ディーンを起用せず、一連のアルバムのタイトル(一部のベストアルバムなどを除く)もバンド名と同様に「A・・・A」というタイトルで通してきたそれまでの法則が崩れることになる。
しかし2000年代中ごろ、ジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズが偶然の再会から共演アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』をAVALONレコードからリリース。このころからこの二人を中心にオリジナルメンバーでのエイジア再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはジェフ・ダウンズがジョン・ペインとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナルラインナップ(ジョン・ウェットン、ジェフ・ダウンズ、スティーヴ・ハウ、カール・パーマー)でのアルバム制作・コンサートツアーを実施する方向であることも正式に発表された。
スティーヴ・ハウ(左)とカール・パーマー(2006年9月10日)ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライヴアルバム『アイコン・ライブ(iCon Live〜Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。二人はスティーブ・クリスティ(ds)、ジョン・ミッチェル(g)を加えたアイコンバンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコンバンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・ラインナップでは初となる来日ツアーを果たしている。なお、スティーヴ・ハウとカール・パーマーを加えたエイジアとしてのアルバムは2008年4月に「PHOENIX」としてリリースされた。ジャケットのアートワークは再びロジャー・ディーンが手がけている。2010年には同じメンバー、同じくロジャー・ディーンのアートワークでの新作『オメガ(Omega)』が発表されている。
同時期にエイジアは、ハウの参加しているイエスとのジョイント・ライヴ(エイジアが前座の扱い)を行い、ハウがどちらのバンドでも演奏するという形態でのツアーが行われている。
2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。
2011年に、イエスから脱退したオリヴァー・ウェイクマンに代わって、イエスの新作『フライ・フロム・ヒア』のレコーディングにダウンズが参加。プロデューサーはトレヴァー・ホーン。今後のイエスのツアーにもダウンズが参加することが発表されている。
なお、2006年までエイジアのメンバーだったジョン・ペイン、ガスリー・ゴーヴァン(g)、ジェイ・シェレン(ds.per)の三人も、奥本亮(key/スポックス・ビアード、K2、元クリエイション)を加え新ユニットGPSを結成(バンド名は三人のイニシャルのアナグラム)。同年にアルバム『Window to The Soul』でデビューしている。ペインとゴーヴァンはプロモーションのため2007年に来日しライヴを行った。
2012年には結成30周年記念アルバム「XXX〜ロマンへの回帰」をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。
[引用元: Wikipedia ウィキペディア] |