ヴァン・ヘイレン(Van Halen) - ディスコグラフィー、CD・DVD情報
【ヴァン・ヘイレン(Van Halen)】
出身地: アメリカ合衆国 カリフォルニア
音楽ジャンル: ハードロック、ハードポップ
ディスコグラフィー、CD・DVD情報
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【ヴァン・ヘイレン(Van Halen) - ディスコグラフィー】
[スタジオ・アルバム]
1978年 炎の導火線 / Van Halen
1979年 伝説の爆撃機 / Van Halen 2
1980年 暗黒の掟 / Women and Children First
1981年 戒厳令 / Fair Warning
1982年 ダイヴァー・ダウン / Diver Down
1984年 1984 / 1984
1986年 5150 / 5150
1988年 OU812 / OU812
1991年 F@U#C%K / For Unlawful Carnal Knowledge
1995年 バランス / Balance
1998年 ヴァン・ヘイレン3 / Van Halen 3
2012年 ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース / A Different Kind of Truth
[ライヴ・アルバム]
1993年 ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ / Live:Right Here, Right Now
2015年 ライヴ・イン・ジャパン / Tokyo Dome Live in Concert
[ベスト・アルバム]
1996年 グレイテスト・ヒッツ / Best Of Volume 1
2004年 ヴェリー・ベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン / The Best Of Both Worlds
[シングル]
1978年 ユー・リアリー・ガット・ミー / You Really Got Me
1978年 悪魔のハイウェイ / Runnin' with the Devil
1978年 叶わぬ賭け / Ain't Talkin' 'Bout Love
1979年 踊り明かそう / Dance the Night Away
1979年 ビューティフル・ガールズ / Beautiful Girls
1980年 ロックン・ロール・ベイビー / And the Cradle Will Rock...
1981年 これが愛だって / So This Is Love?
1981年 ミーン・ストリート / Mean Street
1981年 プッシュ・カムズ・トゥ・シャヴ / Push Comes to Shove
1981年 アンチェインド / Unchained
1982年 オー・プリティ・ウーマン / Oh, Pretty Woman
1982年 ダンシング・イン・ザ・ストリート / Dancing in the Street
1982年 シークレット / Secrets
1982年 リトル・ギター / Little Guitars
1982年 ザ・フル・バグ / The Full Bug
1982年 グッド・タイムズ / Where Have All the Good Times Gone
1984年 ジャンプ / Jump
1984年 ウェイト / I'll Wait
1984年 パナマ / Panama
1984年 ホット・フォー・ティーチャー / Hot for Teacher
1986年 ベスト・オブ・ボース・ワールズ / Best of Both Worlds
1986年 ドリームス / Dreams
1986年 ラヴ・ウォークス・イン / Love Walks In
1986年 サマー・ナイツ / Summer Nights
1986年 ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラヴ / Why Can't This Be Love
1988年 ホエン・イッツ・ラヴ / When It's Love
1988年 ブラック・アンド・ブルー / Black and Blue
1988年 フィニッシュ・ホワット・ヤ・スターテッド / Finish What Ya Started
1988年 カボ・ワボ / Cabo Wabo
1988年 マイン・オール・マイン / Mine All Mine
1989年 フィールズ・ソー・グッド / Feels So Good
1991年 パウンドケーキ / Poundcake
1991年 ランアラウンド / Runaround
1991年 トップ・オブ・ザ・ワールド / Top of the World
1992年 ザ・ドリーム・イズ・オーヴァー / The Dream Is Over
1992年 ライト・ナウ / Right Now
1992年 マン・オン・ア・ミッション / Man on a Mission
1993年 ジャンプ (live) / Jump (live)
1993年 無法の世界 (live) / Won't Get Fooled Again (live)
1993年 ドリームス (live) / Dreams (live)
1995年 セヴンス・シール / The Seventh Seal
1995年 ドント・テル・ミー / Don't Tell Me (What Love Can Do)
1995年 キャント・ストップ・ラヴィン・ユー / Can't Stop Lovin' You
1995年 ノット・イナフ / Not Enough
1995年 アムステルダム / Amsterdam
1996年 ヒューマンズ・ビーイング / Humans Being
1996年 ミー・ワイズ・マジック / Me Wise Magic
1997年 キャント・ゲット・ディス・スタッフ・ノー・モア / Can't Get This Stuff No More
1998年 ウイズアウト・ユー / Without You
1998年 ワン・アイ・ウォント / One I Want
1998年 ファイヤー・イン・ザ・ホール / Fire in the Hole
2004年 イッツ・アバウト・タイム / It's About Time
2004年 アップ・フォー・ブレックファスト / Up for Breakfast
【ヴァン・ヘイレン(Van Halen) - CD情報】
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【ヴァン・ヘイレン(Van Halen) - バイオグラフィー】
エドワード・ヴァン・ヘイレン(ギター)、アレックス・ヴァン・ヘイレン(ドラム)兄弟がハイスクール時代にバンド『マンモス』を結成、同じ学校の別バンドにいたデイヴィッド・リー・ロス(ボーカル)を引き抜き1975年にバンド名を『ヴァン・ヘイレン』に改名したところから彼らの栄光と伝説が始まった。
1978年、キンクスのカヴァー「ユー・リアリー・ガット・ミー」で衝撃的なデビューを果たし、アルバム『炎の導火線』をリリースする頃にはエディのライトハンド奏法から繰り出される超絶ギター・プレイが世界中の注目の的になっていった。そして1983年の12月にリリースされた6thアルバム『1984』に収録され、後にシングル・カットされた「ジャンプ」が全米No.1に5週連続チャート・イン、爆発的ヒットを記録し彼らの代表曲となっていくのである。
1985年、ソロ・アルバムがヒットしたデイヴが脱退を発表、1986年にはサミー・ヘイガーを迎え新生ヴァン・ヘイレンがスタート。以後コンスタントに作品を発表していく。1996年にサミー・ヘイガーが脱退するも、デイヴが一時復帰し『グレイテスト・ヒッツ(BEST
OF VOLUME1)』に収録するため新曲を録音。1998年にはエクストリームのゲイリー・シェローンをヴォーカリストに迎え第3期をスタートさせるが、アルバム『ヴァン・ヘイレンIII』をリリースするもゲイリーが脱退。エディの病気も理由に活動休止の状況が続いていた。
だが2004年、サミー・ヘイガーがグループに復帰したことにより、ヴァン・ヘイレンは活動を再開。新曲3曲を含む2枚組ベスト盤『ベスト・オブ・ボス・ワールズ』もリリース、復活の狼煙を上げた。
提供:リッスンジャパン様
ヴァン・ヘイレン (Van Halen) は、アメリカのハードロックバンド。 「ジャンプ」などのヒット曲で知られる。また、リーダー兼ギタリストのエドワード・ヴァン・ヘイレンは、ライトハンド奏法(タッピング)を広く普及させたことで知られる。全米で5,650万枚、全世界で8,000万枚以上のアルバムセールスを記録している。
エドワード(エディ)とアレックスのヴァン・ヘイレン兄弟は、オランダのナイメーヘンに生まれる。クラリネット奏者だった父親の影響で、幼い頃からピアノやヴァイオリンなどのクラシック音楽を学んだ。アメリカのロサンゼルス近郊のパサデナへ一家で移住した頃にはロックンロールやポップ・ミュージックに興味を持ち、アレックスがギター、エディがドラムセットを手にする。しかし、エディがドラムセットの借金返済のために新聞配達をしていた間、アレックスが勝手に叩いているうちにエディよりも上達してしまい、お互いの楽器を交換し合うというエピソードが伝えられている。
その後、ヴァン・ヘイレン兄弟はジェネシスというバンドを結成。トロージャン・ラバー・カンパニー、ブローケン・コムスなどと名前を変えつつ活動を続ける。兄弟揃ってパサディナシティカレッジに入学すると、バンド名をマンモスとして、対バンド仲間であり校内で人気を争っていたレッド・ボールジェッツからデイヴィッド(デイヴ)・リー・ロスを引き抜く。マンモスはPA機材をデイヴから借りていたが、そのレンタル料が惜しくなっての引き抜きだったとも言われる。また、同じ学校の「スネイク」というバンドから、ヴォーカル兼ベーシストのマイケル・アンソニーを迎え入れ、デイヴの提案によりバンドは名前をヴァン・ヘイレンと改める。ちなみにイギリスでは「ヴァン・ハーレン」、オランダ語では「ファン・ハーレン」と呼ぶ。
バンドはパサデナを中心に、ロサンゼルスやハリウッドなどのクラブでライヴを重ね、徐々に人気を集めていく。 この頃のレパートリーは、ディープ・パープルやキッス、ZZトップ、エアロスミスなどのカヴァー曲を中心に、オリジナルを織り交ぜたものだった。
1976年、キッスのジーン・シモンズの資金援助を受け、デモテープを作るが、レコード会社は興味を示さなかった。1977年11月、レギュラー出演していたクラブに、ワーナー・ブラザーズ社長のモー・オースティンと、プロデューサーのテッド・テンプルマンが突然現れバンドに契約書を渡し、24時間以内の契約を迫ると、バンドはその場で契約を決めた。
1978年1月、シングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」(キンクスのカヴァー曲)でデビュー。
2月、アルバム『炎の導火線』(原題:Van Halen)をリリース。 全米最高位19位。 瞬く間に150万枚を売り上げ、プラチナディスクを獲得する。現在1000万枚以上を売り上げる。
6月、初来日(詳細は後段参照)。他のミュージシャンの来日ツアーがキャンセルとなったことにより、デビュー後半年という異例の早さでの初来日となった。
1979年4月、セカンド・アルバム『伝説の爆撃機』(原題:Van Halen II)をリリース。 全米最高位6位。 再びプラチナディスクを獲得。
9月、再来日公演。
1980年4月、サード・アルバム『暗黒の掟』(原題:Women And Children First)をリリース。 全米最高位6位。 全曲オリジナル曲となる。
1981年5月、4枚目のアルバム『戒厳令』(原題:Fair Warning)をリリース。 全米最高位5位。 このアルバムからキーボードが導入される。
1982年4月、5枚目のアルバム『ダイヴァー・ダウン』(原題:Diver Down)リリース。 全米最高3位。 先行シングル「オー・プリティ・ウーマン」のヒットに合わせて急遽制作されたアルバムで、半分近くがカヴァー曲。 また、ヴァン・ヘイレン兄弟の父親、ヤン・ヴァン・ヘイレンもクラリネットで参加している。
1983年5月、当時のギネス記録を塗り替える出演料で、ロサンゼルスにて開催された「USフェスティヴァル」に出演。
1984年1月、6枚目のアルバム『1984』リリース。 全米最高2位。 ちなみにその当時の1位を守っていたのは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』で、エディが「今夜はビート・イット」にギタリストとして参加している。また、マイケル・ジャクソンのツアーにも一部参加した。シングル「ジャンプ」は5週連続1位、「パナマ」「アイル・ウェイト」もトップ20ヒット。
1985年7月頃、デイヴィッド・リー・ロスが脱退。 後任のヴォーカリストに元モントローズのサミー・ヘイガーを迎える。
1986年3月、7枚目のアルバム『5150』リリース。 新生ヴァン・ヘイレンは多くの人に受け入れられ、全米最高1位を記録する。シングル「ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラブ」がトップ3ヒット。
1988年5月、8枚目のアルバム『OU812』リリース。 再び全米1位を記録する。
1989年1月、10年ぶりとなる来日公演を行う。 東京・東京ドーム、大阪、名古屋、京都で6公演を行う。広島も予定していたが当日キャンセル。後日東京で追加公演を行った。
1991年6月、9枚目のアルバム『F@U#C%K』(原題:For Unlawful Carnal Knowledge)リリース。 全米初登場1位を記録する。
1993年2月、初のライヴ・アルバム『ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ』(原題:Live:Right Here, Right Now)リリース。 全米最高5位。
1995年1月、10枚目のアルバム『バランス』(原題:Balance)リリース。 前作に引き続き初登場1位を記録する。 結合双生児を模したジャケットの画像は、日本では自主規制により同じモデルが一人で写っている画像に差し替えられている。
1995年10月〜11月、6年ぶりとなる来日公演を行う。 東京、大阪、福岡で7公演を行う。
1996年5月、ヴァン・ヘイレン兄弟が参加した、映画『ツイスター』のサントラがリリースされる。
同年6月、サミー・ヘイガーの脱退が伝えられる。 また、ベスト・アルバム用の新曲のために、デイヴィッド・リー・ロスが参加していることも伝えられる。
同年10月、ベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(原題:Best Of Volume 1)リリース。 18年の集大成であるとともに、10年ぶりにオリジナルメンバーでの新曲が含まれたアルバム。 しかしデイヴィッド・リー・ロスはバンドに戻らず、ミッチ・マロイも候補に上がったが、3代目ヴォーカリストはエクストリームのゲイリー・シェローンと発表される。
1998年3月、11枚目のアルバム『ヴァン・ヘイレンIII』リリース。 全米最高4位。
1998年10月〜11月、3年ぶりとなる来日公演を行う。 広島、福岡、大阪、名古屋、岩手、東京・日本武道館、横浜で9公演を行う。
1999年、レコーディング中にゲイリー・シェローン脱退。 ヴォーカリスト不在状態となる。
その後、エディの癌、腰の手術などの影響で、バンドは休止状態となる。
2004年初頭、サミー・ヘイガーが電撃的に復帰。 6月から全米ツアーを開始し、8月には2枚組ベスト・アルバム『The Best Of Both Worlds』をリリースする。 しかし、サミーとエディの関係は再び悪化して、アルバム作りが進まない状態に陥った。
2006年マイケル・アンソニーが「BURRN!」4月号掲載のインタビューにおいてバンドが事実上の解散状態にあることを告白した。 またマイケル自身、2002年に行われたサミー・ヘイガーとデイヴィッド・リー・ロスによるカップリングツアー「SAM & DAVE」にヘイガーのバックバンドのメンバーとして参加したことを理由に解雇されていたこと、2004年の復活ツアーにおいても正式なメンバーではなく雇われメンバーだったこと等も告白している。
同年11月、新ベーシストとしてエディの息子、ウルフギャング (Wolfgang Van Halen、2006年11月現在15歳) の加入が発表される。当時はウルフガング表記だったが、2012年にメディアプレスはウルフギャングに統一された。
2012年2月、12枚目のアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース - A Different Kind of Truth』をリリース。全米ビルボード2位、全米ロックアルバム&ハードロックアルバム1位、全英6位、オリコンチャート3位を記録。11月には大阪と東京の来日公演が予定されている。
2007年1月8日、ロックの殿堂入りを果たす。
2007年1月18日、Winter NAMM 2007で、フェンダー/シャーベルカスタムショップから"Frankenstein Replica"が発表され、エディ自身によるデモ演奏が行われた。
2007年2月2日、デイヴィッド・リー・ロスが復帰して夏に北米ツアーを行うと発表するも、後にキャンセル。
2007年3月8日、公式サイトにエディ自身による、自分が現在リハビリ施設にいることをファンに知らせるメッセージが掲載される。
2007年3月12日、ウォルドルフ=アストリアにて行われた、ロックの殿堂セレモニーにサミーとマイケルが出席し、ヴェルヴェット・リボルバーがプレゼンターを務めた。
2007年8月13日、L.Aフォーシーズンズホテルでバンドの記者会見を開催。活動を再開することを正式に発表した。ボーカルにデイヴィッド・リー・ロス、ベースにウルフギャング・ヴァン・ヘイレンを迎え、9月27日から12月11日まで25都市のアメリカ・ツアーを行った。
2011年1月、オリジナルニューアルバムのレコーディング開始。
2011年5月、Soundwave Revolution 2011への出演がフェスオフィシャルページで発表されるが8月にフェス開催中止になる。アルバム制作を優先させたいヴァン・ヘイレンがキャンセルしたためではないか、と憶測が流れたが、主催者発表でセカンドヘッドライナーだったエアロスミスのキャンセルとチケットセールスの不振を理由としている。
2011年10月、オリジナルニューアルバム完成。
2011年11月、コロンビアレコードと交渉していたが、インタースコープレコードと正式契約が成立する。
2011年12月26日、オフィシャルサイトにて2012年ツアーのチケットを1月10日より発売する旨の動画が掲載される。また、バンドがアルバム完成後に週2.3回のペースで極秘リハーサルを行っていたことが判明した。
2012年1月5日、New Yorkのcafe wha?でプレス向けプライベートショーを行う。ツアー日程発表。ニューアルバムは2/7(日本盤は2/8)発売。タイトルは"A Different Kind of Truth"で全13曲収録。と発表。
2012年1月10日、シングル「Tattoo」リリース。
2012年2月7日、12枚目のアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』(原題:A Different Kind of Truth)リリース。
2012年2月8日、LA ForumでDress Rehearsalを行う。スラッシュをはじめ、多くの友人やミュージシャンが招待された。
2012年2月18日、全米ツアースタート。エディ・ヴァン・ヘイレンのギタープレイがファンのみならずミュージシャンからも賞賛されている。全米ツアーは2012年6月26日まで。
2012年5月、エディ・ヴァン・ヘイレンがインタビューで2011年春に舌ガンが再発している事を明らかにする。秋には一部切除手術を受けて、定期的に検査を受けている。
2012年5月、追加30公演の延期を発表。後に正式にキャンセル。バンド内の不協和音が報じられるが、デイヴによると「バンドは絶好調!少し疲れてきたのとマンネリを防ぐためオフをとらせて」
2012年6月、14年ぶりの来日公演が正式発表される。
2012年6月、北米ツアー 1st Leg終了。(一時はデイヴの不安定なボーカルが心配されたが、ツアーが進むに連れてウルフギャングのベースとコーラスの評価がそれをカバーした。2007年のライブとは別人のようなエドワード・ヴァン・ヘイレンの冴え渡るギタープレイが多くのファンを惹きつけた)
[引用元: Wikipedia ウィキペディア] |